日本は台湾とどのように接しようか

数年前、台北の屋台で小籠包を食べた。口内で肉汁が飛び散る感触が忘れられない。台湾大好きと心の中で叫んだ瞬間である。もっとも個人的にはウエルカムな台湾だが、国家レベルの問題となると、大陸との関係もあり、まぁいろいろ大変である。ここで私が台湾との付き合い方を論じても全く説得力がないので、私が好きな楊海英(ヤンハイイン)氏(静岡大学教授 南モンゴル出身)に聞いてみよう。

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 8月になると、あらゆるメディアが示し合わせたかのように戦争の特集を組むのは、世界でも日本独自の現象だろう。日本人は皆、先の大戦を回顧し、口をそろえて反省の言葉を発し、平和を礼賛する。

 この日本的な美徳は必ずしも世界から評価されているわけではない。日本人同士で語り合い、日本国内での平和が強調されるだけで、国際性が低いと批判される。周辺国がいまだに時機を見て日本に歴史カードを切っていることが、その実態を雄弁に物語っている。なぜ日本は歴史問題が解決できないままでいるのだろうか。

 原因は多々あるだろうが、最大の問題は①日本が他者の立場に立って物事を考えることと②他者の視点で世界史を見渡すことができないからだろう。

 第二次世界大戦中の日本の行動が「侵略」かどうか、日本の開拓した植民地が悪か否かの問題ではない。同様なことは欧米列強もしており、日本はむしろ列強の後塵を拝していた。周辺国は、戦争中の行為だけを批判しているのではない。むしろ戦時中よりも、戦後の姿勢を問うているのだ。

 軍国主義体制から自由主義陣営に脱皮した戦後日本の言論人はリベラルと保守に分けられているようだ。リベラルの知識人と政治家は一党独裁の中国当局に謝罪し続けてきたが、台湾と満蒙(満州と内モンゴルの大半)には一貫して冷酷な態度を取ってきた。彼らは「台湾は中国の不可分の一部」「満蒙は古くから中国の領土」といった中国共産党の主張を代弁してきた。台湾の将来は台湾人が決める、との目標を掲げてきた史明(シーミン)のような独立派は、そもそも日本で左翼思想を受け入れた人たちだった。本来なら日本のリベラル系闘志らと独立派は相性が良いはずなのに、彼らは一向に台湾人の悲哀に耳を傾けようとしなかった。

 満蒙も同じだ。戦前と戦中においては、満州国に渡ったことがあるリベラル系の人たち、例えば大宅壮一や石橋湛山らは声高にモンゴル独立を唱えていた。保守派は当然、大日本帝国の属国としての満州国を擁護していたので、両者は対立していた。

 戦後になると日本のリベラル派は中華人民共和国の中国人にだけ謝罪し、満州人とモンゴル人の存在を黙殺してきた。まるで中国人が満州人とモンゴル人の主であるかのように、主にだけ謝罪し「下僕」は無視してもいい、という顔をしているのではないか。

 これは強者にだけ陳謝し、弱者を無視するという偽善に満ちた思考方法ではないか。保守派は植民地運営の功績を強調したがる。インフラ整備など近代化の促進に宗主国日本が熱心だったのは事実だろう。

 しかし、植民地化されたが故に「台湾は中国の一部」とされ、満州人とモンゴル人がいまだに中国の桎梏から独立できないでいるのではないか。欧米の植民地は独立できたが、日本の植民地は独立どころか、かえって他の帝国、それも諸民族の好敵手であった中国の支配下におかれたままである。日本の植民地支配が新たな支配、中国による専制主義的統治を招いたとの性質も認識しなければならないだろう。ここに、日本と西洋列強との根本的な差異があるからである。

 日本はどうすればいいのか。欧米諸国のように、イギリスが香港に関心を抱き続けるように、旧植民地に積極的に関与するしかなかろう。台湾の民主化と独立を支持し、モンゴルなどの少数民族が中国に抑圧されている状態から解放しなければならない。そうなれば、日本は周辺国だけでなく、世界中から尊敬される国家になるに違いない。

                                 おわり

 

 

 

 

 

2022 北海道公立高校入試分析チーム

分析を通じて来年の試験を予測 まずは北海道公立高校入試問題 次は国立高等専門学校(こうせん) オンライン家庭教師 北海道大学大学院法学研究科卒

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